andymori
久しぶりにブログを書くことにした。
そして、久しぶりにandymoriをしっかりきいた。
小山田壮平のライブには行ったことがあるんだけど、実は私がandymoriを知ったのは小学生のころで、スリーピース体制のそれを生で聞いたことはない。
私の両親は、もともとスペースシャワーTVという会社に勤めていて(スタイリストや映像制作をしていたらしい)詳しいことはわからないがとにかく、わたしが生まれるころにはすでに、音楽が常に身近に感じられる環境ができていた。
だからか、ある程度の音楽の趣味趣向は、親に似ている部分があるし、影響はモロに受けてる。
そして、私が小学生の頃
初めてきいた瞬間や、初めてみた瞬間を私は結構大事にしている節があるようで、この曲に限らず、結構昔の記憶もすんなり出てくる。
父が スタイルカウンシル の the cost of loving を流してくれたあの夜も、学校を風邪で休み、アメリカンビューティをみたあの昼間も、結構覚えいたりする。もちろん、親に隠れて銀杏BOYZの歌詞を読んだ小5の夏は忘れない。
話は戻るが、私の母は私が帰宅するころ、いつもリビングでアコースティックギターを爪弾いて、この歌(1984)を歌っていた。
本物バージョンは、聴いたことがなくて 初めて聴いた時はなんとも言えない 本物感 を抱いた。
その時のドキドキを覚えている。
そのあと、紆余曲折あって高校生の頃、andymoriをちゃんと聴くようになった。
その時多分、好きだった人とandymoriの話をめっちゃした。
andymori好きな人とならうまくいくと思ってたけど、意外にもうまくはいかなかったりした。
親のようにあったかく、
悲しいときや苦しい時、いつもそばにいてくれたバンド。
友達のように気楽で、
簡単で単調な歌詞がスーッと心に寄り添ってくれる。
やっぱりandymoriが一番好きだと思った。
悲しいことや嫌なことがあってもそばにいてくれる家族や友人達がいること
小さな地球の小さな日本で暮らしている私が感じる些細な出来事
"こんな儚い世界の中に信じた人がいる"
代弁してくれる人がいるありがたさ。
日常の風景に溶け込んで、そのまま私のなかに沁みて、分散して、ずっと残ってる。
ミツメ
ミツメのライブに行きました
一見、冷徹に思える音が、しずかに熱おび、しずかに鎮静してゆく様な曲。ふわっーと舞い込み、、振り返ったらいつのまにか消えているような。
詩の内容こそシンプルだが、それ故、日常に潜む何かじゃないのかと考えさせられる。
"それた話はどこに行くの
誰かのことも 忘れそうな時にふざけてる
夜はいつもみたいに 最後の曲にして待ってる
忘れそうな時にふざけてる
忘れそうな時に限って見かけても
何も変わらないよと言ってよ"
忘れる/ミツメ
こんな歌詞を、あんなクールな曲に乗せて、空気のように、無駄のないスマートな佇まいで演奏するなんて、ヤバいのである。
この詩のニュアンスや丁寧さを
しっかりと
感じることができる。
はぁ~。
最高 。笑
日本に生まれてよかったと思える所以。
ムシャクシャ
気持ちを共有するのは、本当に難しい。
できてるのか否かさえ確認できない。
説明が回りくどくなってしまうと、
言葉で感情を記号化してしまうようでダメだし、
あやふやな説明でニュアンスを伝えようとしても真っ当に伝わることなんかないのだから、どうすんだっつう話である。
そもそも、ひとりひとりの育ってきた環境は違う(セロリかよ)。
そうすると必然的に、ひとりひとりの感情も違うわけで、そんな人たちに自分の気持ちが伝わる方がおかしいとさえ、思う。
まともな文章がかけないほどに、私は今非常にムシャクシャしている。
ムシャクシャホリデーである。みうらじゅん氏に倣うとすればムシャクシャブームかもしれない。
ストロベリーショートケイクス
受験
受験やだな。
なんでこんなに勉強しないとならないのか。
勉強って本来、恣意的なものでしょ。
英語と世界史は好きだけど。
考えごと。
私はいわゆる歓楽街や、ネオン街が苦手だ。
そして、歌舞伎町が滅法それにあてはまる。
逃げたくなるし、そこにいる大人たちが嫌いだ。
だけど、その居心地の悪さが病みつきになるときがある。
私は「歌舞伎町」という「コミュニティ」を客観視するのが案外好きなのかもしれない。
そこに潜む人間を見るだけで、日々平凡に飽きている自分に、何かを訴えかけてくるエネルギー をもらえるような気がする。
もともと私は感受性が人より豊かな様で、
初めて歌舞伎町に行った時は人間の密度と人間の魂の濃さに圧倒された。
初めて訪れたとき 私は
しばらく歌舞伎町のことをかんがえていた。
大人はこんな場所を知っていながら 私たち子供を教育しているのかと
でも、こういう場所がないと、大人は大人でなくなってしまうかもしれない。
娯楽を娯楽として嗜めるようになるのも、子供にはわからない社会に携わる大人たちの特権なのか…
当時16歳程の自分は、歌舞伎町に対して異様なほどにドラマ性を感じていた。
私は物心ついた時から、世に蔓延る 裏のすがた に惹かれていた。
思春期の男の子が女性の裸に興味を持つように、表面からは想像がつかない、裏の部分、闇の部分を妙に知りたがった。
何故だかわからなかった。
でも実際、歌舞伎町に出くわした時(その時はたまたま迷い込んでしまった)、自分の感受性のキャパオーバーを感じてしまったのだと思う。
大人計画という劇団がある。松尾スズキが主宰となっている有名な劇団だ。(宮藤官九郎、荒川良々、平山紙、阿部サダヲなどが有名)
彼らが作る演劇はまさに、世の中のタブーや闇を実に皮肉的に表現している。
この劇団に出会って、自分は「世の中はこんなに腐ってない!捨てたもんじゃない!」という新たな感情を手に入れた。
歌舞伎町と大人計画は私にとって似ている。
闇っぽさを目の当たりにする引き換えに、自分の目で見たこれまでの世の中を優しく肯定してくれるのだ。
先ほど述べた、エネルギーとは、「肯定」だったのかもしれない。
こんなスタンスで、これからも明るく生きていこうと思う。