猫
18年飼っていた猫シェバが亡くなって早くも2日が経とうとしている。
亡くなる3日ほど前から不調が徐々に現れ、こちらも最期を覚悟する日々が続いた。
深夜救急で運ばれた診察室には、不安にさせる要素が満載である。完全に家猫だったからか、その要素のせいか、見慣れない風景と薬品の匂いに当たりを見回しているシェバの表情を忘れることはないだろう。
重度の貧血と免疫力の低下による溶血、更にそれによって引き起こる血尿。
どうして今まで気づかなかったのだろう。その日の夜の血尿と呼吸の乱れで異変に気がついた。自分を咎めてしまうことはどうしても避けられない結果だった。
「これだけ重度の貧血は珍しいです。食べ物だけでは補ません。輸血が必要です。体力も落ちているのでキツイかもしれません。」
輸血するには他の猫(健康で大きくてしかも若い)の血液が勿論必要になる訳で、見つかったところでなんとも、血液型、適応検査という壁に合格しなくてはならないという鬼門。
シェバは齢18歳の長寿猫。我々は、無理はさせたくないという決断を下した。勿論嫌だけど。
苦しそうにしているシェバを前に、執拗に生きながらえさせることを善とする気持ちにはどうしてもならなかった。
自分のお気に入りのソファによじ登り、最期を迎えたシェバ。大往生だと思う。
立派だった。
人間の死と動物の死を比べたい訳ではないが、
人間は、生きているとどうしても、マイナスな事情が生じてしまうものである。しかし猫や犬などの愛玩動物は、我々人間にプラスな影響しか与えないと私は思う。健気で一途で純粋な目を見て、癒されなかった時は一度たりともないし、悲しい時や辛い時には泣きながら抱きしめる。人間とペットはまるで兄弟のように過ごす。
隙間風が冷たいように
ビル風が強いように
心にぽかんと空いた隙間に、風が通ると冷たく強い風が通り抜ける。
その隙間にいてくれたのがシェバなんだと、改めて気づくときがこれからたくさんあるだろう。
遺された私たちは生きることしかできない。今を全うすることが、最大の恩返しだ。
今まで本当にありがとう。
私の母が好きな森山直太朗(私の学校の卒業生でもある)の楽曲には「生きてることが辛いなら」という有名な歌がある。この詩を手がける御徒町凧氏もまた、私の先輩にあたる。この歌の詩が昨晩は妙に沁みた。
生きてることが辛いなら/森山直太朗
「生きてることが辛いなら
わめきちらして泣けばいい
その内夜は明けちゃって
疲れて眠りに就くだろう
夜に泣くのは赤ん坊
だけって決まりはないんだし
(中略)
生きてることが辛いなら
嫌になるまで生きるがいい
歴史は小さなブランコで
宇宙は小さな水飲み場
生きてることが辛いなら
くたばる喜びとっておけ」