レポート 記録用

フェイクニュースが世間に流布する前に世の中がすべきことは何か>

2016年のアメリカ大統領選挙ドナルド・トランプ氏が当選したことをきっかけに「フェイクニュース」という言葉が世界的に注目を集め始めた。フェイクニュースとは日本語で表すならば「虚偽報道」であり、マスメディア、主にソーシャルメディアにおいて、真実とは異なる情報を捏造し、それをニュースとして報道することを意味する。アメリカ大統領選挙の際、「ローマ法王ドナルド・トランプ氏を支持している」「ヒラリークリントン氏を捜査するFBI捜査官が無理心中をはかる」などといったフェイクニュースが巷にあふれかえった。また、そのニュースを信じた人が暴動するなど、近年、フェイクニュースが原因で勃発した事件は多々起こっている。このような情報の捏造は、昔から存在してはいたが、ソーシャルメディアの台頭により情報拡散のスピードは加速し、政治的な働きだけでなく広告収入などの諸収入も得ることができてしまうため、ある種のビジネスツールとして成立してしまったともいえる。情報戦争と謳われるほど情報が飽和している現代において、フェイクニュースを阻止することは一体できるのだろうか。

今年の5月上旬、シンガポール国会ではインターネット上に悪意を持って「偽の情報」、「全部または一部が虚偽、もしくは誤解を招く情報」を拡散した企業や団体に処罰を課すという法案が可決となった。特に欧州諸国において、その対策は早急だった。ドイツでは2017年からフェイクニュースに応じた法律がすでに施行されている。このように、世界中でフェイクニュースの対策は行われつつある。だが、誰もが匿名で好きなことをネットに掲載することができてしまう世の中で、フェイクニュースや政治的攻撃を目的とした陰謀論の発信源を完全に制御することはできない。またアメリカでは、合衆国憲法修正第一条による「表現の自由」が民主主義の土台としてかなり根付いているため、国民の言論を統御することは難しいといわれている。この問題を解決するには、あたり前のようにソーシャルメディアを扱う、我々現代人のインターネットリテラシーと、フェイクニュースを流す起因になりうる広告収入の仕組みをもう一度、見直す必要があるのではないか。

 フェイクニュースの蔓延が問題視されて以降、「ポスト・トゥルース」という言葉が広まった。この言葉は、オックスフォード英字辞典の「今年の単語(ワード・オブ・ザ・イヤー)2016」に選ばれるほど、アメリカ大統領選挙が行われた2016年を象徴した単語である。ポスト・トゥルースとは、「真実でなくてもとにかく感情的に人の心を揺さぶってしまえばよい」という考え方をあらわした言葉である。一見、明らかに嘘とわかるような記事でも「面白い」と直感的に感じてしまったり、衝撃を受けてしまったりすることで、自分の中で嘘が半信半疑に変わってしまい、その間を揺れ動くことで真実のようになってしまうのだ。特にアメリカでは多くの人が真実を追求するのではなく、ネット記事などで目にした「自分が信じたい情報」をかたくなに信じてしまい、一度自分の殻に閉じこもってしまうと、ほかの多様な情報や意見が耳に入らなくなってしまうといわれている。

 先ほども述べたように、フェイクニュースや情報の捏造は大昔から存在していた。情報自体の量がかなり少なかった時代から、一部の新聞や広告などの媒体がプロパガンダとして人々の思想や世論を誘導させるような働きかけをしていた。その実例は、第一次世界大戦期のアメリカ広報委員会が嚆矢とされており、その影響を受け、ロシア革命直後のソ連で急激に広まったとされている。当時は情報が少なかっただけに、人々が見るニュースは一点に集中していたと考えられる。その時代に比べ、現代はソーシャルメディアの普及によって伝達のスピードだけでなく、情報の量そのものが比べ物にならないほど増加しており、その量は飽和してしまうほどであるとまでいわれている。ソーシャルメディアにおいて、様々な人の考え方や意見に触れるということは欠かせないものであり、メリットといえる要素の一つだったはずだが、アルゴリズムがネットユーザー各々の趣味趣向に沿って情報を選別してしまうため、逆にほかの人の意見や思想を隔絶させてしまう空間に変わってきてしまっているのだ。また、情報を伝達させるツールや、媒体の数が多すぎるという理由から、ユーザーは得た情報を冷静に見直すことなく鵜呑みにし、ほかの意見を目にしても、それが本当なのかどうかをしっかりと吟味せず横流しにしてしまうのだろう。このように、インターネットにおけるアルゴリズムは人々をより偏った考え方にさせてしまう可能性を大いに孕んでいることがわかる。

 だが、フェイクニュースの蔓延に拍車をかけたと非難されるインターネット事業も、近年の事件を経て虚偽報道の拡散に応じた対策を始めたという。2016年末、googleで「ホロコースト」と検索するとホロコーストを否定するような書かれ方をしたネット記事が検索ページの上位に表示されたとして、話題となった。それを受けた米グーグルは2017年4月に3種のアルゴリズムアップデートを行なった。その内容は「検索品質評価者ガイドラインの改訂」、「ランキングシグナルの再調整」、「フィールドバックのためのツール導入」である。そのほか、米フェイスブックフェイクニュースや偽情報の通報を行いやすくし、第三者機関が偽りの情報であると認めた場合、フェイクニュースであるというサインが出るように設定するなどの、フェイクニュース蔓延対策を進めているようだ。また、インターネット事業のみならず、2017年4月に設立された「ニュース・インテグリティ・イニシアティブ」を筆頭に、メディア事業者や民間の取り組みとしてのファクトチェック(事実確認)も次第に強化されている。

 確かにこうした近年のフェイクニュース対策はいずれも重要であり、数多の情報を一気に得て、一気に処理しなくてはならない我々に、全ての情報を鵜呑みにしてはいけないという警告を鳴らした。しかし、どの情報がフェイクニュースであるのか、あまりに蔓延してしまうと情報の発信源が偽だと認めるまでハッキリとしないという問題は解決出来ないままである。

 このような情報が飽和するほど存在する世の中で、フェイクニュースを拡散させないようにするには、ネットユーザーの一人一人が全ての情報に対して本当に正しいのか疑う必要があるのではないだろうか。ニュースに掲載されたものの情報源をチェックすることを習慣づけることで、情報を横流しにしてしまう恐れから免れるだろう。簡単に情報を拡散することが出来てしまう現代において、その情報の重みを再考するのは少し面倒であるかもしれないが、「面白いから」といったような簡単な理由でシェアせず、フェイクニュースの加害者になってしまう前に、すこし立ち止まって考えてみるべきだ。

 フェイクニュースの投稿者は政治的な企みのみならず、広告収入を目的としている場合もある。実際、マケドニアのある街では、200人以上の若者が広告収入のためにニュースを捏造していた。世間が騒然とするような偽の情報を流せば、当然閲覧数は上りそのまま彼らの収入となるのだ。そのため、「ある一定の基準や条件を満たさなければ広告をつけられない」などといったネット上の広告システムの再考も、必要だろう。国家や、事業が解決策を施行しているのにもかかわらず、今も尚フェイクニュースが原因となっている事件や問題は起こり続けている。様々なニュースが蔓延し、常に情報が飽和状態にあると言われているこの時代、周りの意見に惑わされ、間違った情報を易々と受け入れてしまうのは非常に危険だ。フェイクニュースの流布を防ぐためには、ネットを使用するすべての人のネットリテラシーと、フェイクニュースの原因となる広告システムの再確認を今一度すべきである。

 

<参考文献目録>

工藤郁子 2018 『人工知能と報道倫理:「フェイクニュース」を中心として』人工知能学会

池田純一 2017 『“ポスト・トゥルースアメリカの誕生:ウェブにハックされた大統領選』青土社

津田大介 2018 『情報戦争を生き抜く 武器としてのメディアリテラシー朝日新書

1

7/17(水)晴

ECDの妻であり、写真家であり、ミツさんの彼女でもある植本一子さんの「かなわない」を読んだのは、かなり昔の話だけど、渋谷道玄坂のコーヒー屋さんで遭遇してから、彼女のエッセイを再び読み始めてる。

そんな彼女に感化されて、日記をつけ始めたものの ペンと紙だとうまく文章が書けない性分、全然面白いものが書けなく、苦戦している。本来日記に面白さなど求めるものではないと思うけど、彼女のエッセイは、自然な流れのなかにユーモアとビックリが沢山ふくまれていふから、毎回学びがある。

しかも、登場人物が多い。

私は手書きよりもタイプする方が向いているかも知れない。

 

今日は朝久しぶりの通院のため早起きをし、20分で支度をし、9:00に主治医のもとへ。 

 

主治医は、いつも誰かに似てる気がするけどその誰かが本当にわからなくて、結構私を悩ませてる。

 

久しぶりに会った主治医は、私の完治への順調な進捗に安心していて、そんな様子を見てこっちも安心できて、朝から良い気分だ。

 

主治医は、笑った顔がsusurutvのチャル蔵に似ている事が判明(マイナーすぎ)。そんな些細なことでスッキリしたのでコーヒー飲んでゆっくり学校にいった。

 

ゼミの先生は沢山いい話をしてくれた。

ゼミ課題のインタビューを経て、相手のことは勿論、自分がどれだけいい聞き手になれるかが大事だってことに気づけたら良いと言っていた。たしかになー。いい聞き手になればなるほど、相手は気持ちよく話せる。自分がちゃんと、いい聞き手になっていたか省みる。うーん、そうでもない。

その先生は、なにを話しても100%の返事をしてくれる、安心感のある人でまさに「良い聞き手」だと思う。そういう人にはオープンになれるし、オープンになると楽しい。

常に何かを学ぶ態勢であるというより、無意識にある好奇心が溢れ出ている人なのだろう。ああいうおとながもっといればおもしろいのに!

 

そして色々あって18:00には帰宅。

友達と電話した。

自分がいかに自分を格上に感じてるのか、周りの目をどれだけ気にして生きているか、自分はどれだけ他と自分を見比べて生きているか、話した。心がイタイ。結局一番かわいいのは自分なんだ。電話の最中、一対一で話すときこそ、いい聞き手になるよう試みようと思った。

自己中心的に生きているつもりはないけど、自分に素直になれたらいちばんいい。他人には自分を庇う嘘をついていいかもしれないが、自分に嘘はついちゃダメ。日記はその点、手っ取り早く自分を振り返ることができるから良いかもしれない。これは誰かが読んでくれてるかもしれないけど、誰のためでもない自分のために。

コートニーバーネット/Elevator Operatorを聴いて寝る。

タイミング

最近、カネコアヤノばかり聴いてる。

たぶん事故にあった後の自分の心境と彼女の詩が妙にリンクしてるせいだとおもう。

 

自分の事故後の心境はなんと説明したらいいのかわからないくらいつらくて、(と言うか、つらいっていう一言で記号化したくないほどで) 他人には絶対わかってもらえない と思ってたのに、カネコアヤノには見透かされているみたいな気がする。

「大丈夫になったら」とかいうから〜。笑

 

実は事故に遭うまでは、彼女の曲全然聴いてなかった。

もし事故に遭う前に彼女の曲をたくさん聴いていたとしたら、事故後の複雑な心境がこんな風に 見透かされてるよーな、つきささる感覚はなかったかもしれない。

そういう、タイミングってある。

 

オススメされて聞くとハマらないみたいなもので。。

タイミング、、。

 

彼女の曲、聞けば聞くほど、人間味が剥き出しで 見てていいのか不安になる時がある。

一見、華奢で可憐な女の子なんだけど、着ているワンピースからは、フローラルなんかじゃなくて古いタンスの匂いがしそう。

 

事故にあって、自分の利益になると思えそうなことは、こういった出会いに見出すしかない。

 

自分は弱い弱いと過信しすぎることより、自分の弱さを上手い具合自覚しつつ、でも、弱さなんて規模は違えどみんなが持ち合わせているものなんだと 達観して思っちゃえるような強さが、大切なのかも。

そういう風に格好良くありたい。

 

もちろん、身体的な弱さは時間の経過に身をまかせるしかないけど、精神的な弱さは、考えようで強さに置き換えることができる。そうやって 「大丈夫になる」んだなと思った。

小学生の頃の自分に教えてあげたい。

 

 

あー、ライブ行きたい!

 

f:id:michika148:20190423005548j:image

 

入院の記録3

入院11日目。分岐点が過ぎた。あと9日でシャバの空気が吸える。

 

リハビリも本格的に始まり、膝の曲げ伸ばしもできるように!

 

車椅子の自由使用許可が下りたので

売店に行って買い物した。

 

f:id:michika148:20190320123722j:image

他の病棟の患者さんの顔すら見ることができなかった10日間だったから、他人の顔を見るとなぜかホッとした。

 

着々とリハビリは進み、松葉杖歩行も練習している。

人間の一歩=車椅子20漕ぎ くらいの筋肉使用量らしい。

それに、全身麻酔で呼吸器系の機能を停止させていたから、動く度に肺への負担が、すごい。

ギプスの重量感も思った以上だ。

だから松葉杖で歩くのめちゃくちゃしんどいのだ。

言葉では説明できないけど、10歩進んで息切れするレベル…。

やだよ。これで都会の喧騒に揉まれるなんて考えらんなーい!泣

 

散々運動したあと血圧を測ったら、80だった。平均が100以上だから、めちゃ低い。クラックラする。

 

でも、だれかがお見舞いにきてくれると、体力も気持ちも回復するの。

一人の時は寝たきりで、ッボーーーッとするしかない…。

 

昨日、隣の患者が看護師とめちゃくちゃけんかしていた。それにあの人、手の骨折の癖して車椅子用のトイレ使うからめちゃくちゃ迷惑なんだ。

朝の5:50には、あの人の携帯から決まってアラームがなるから病室の人みんな起きちゃう。

隣の患者、結構厄介者なのかもしれない。

 

カーテンで仕切られてるとは言えど、共同生活なんだから過ごしやすい空間にしようって努力してほしい。君だけが患者じゃないんだから。泣

 

優しさだけじゃなく、人の粗も見えてきた、そんな入院11日目です。

 

f:id:michika148:20190320123646j:image

入院の記録2

おはようございます、本日入院9日目です。

 

おんなじ部屋のおんなじベッドでずーっと寝てるなんて考えられないでしょ。

 

明日からリハビリがはじまるようだけど、それまではずっと寝たきりだ。

 

お見舞いでいただいたディーンアンドデルーカのキャンディがおいしい。

 

まいにちすっぴんだから肌がよくなった気もする。

 

地味な生活をしていると、地味な変化に気づくことが出来るし、些細な幸せをちゃんと感じ取れる。人のありがたさに気づく。

 

昨日の夜は傷の痛みと骨のくっつこうとする痛みが激しく、4時に薬を投与してもらった。

 

退院したい気持ちはもちろんあるが、退院後の自分はめちゃくちゃ心配だ。

渋谷駅をどう攻略するか、東横から井の頭の乗り換えをどうするか、そんなことを考えてみたり。

バスのちょっとした段差に気をつけよう。とか。イメージトレーニングはバッチリなのだが。

おそらく退院後は、都会の人々の優しさと厳しさを実感することになるだろう。

 

パックする余裕ができた。力は出ないけど、必要最低限よりちょっと上のレベルをいきてる。

 f:id:michika148:20190317190744j:image

今晩の食卓&脚。

グアム土産のダサ靴下を着用中!

キュウリの酢の物だー!これ、病院食の中で割と好きなんだよねー。

 

ああ、私は今、取ってつけたようなナチュラル生活をしているな。

 

今日はナドちゃんのモッパン動画見て寝よう。

まだ20時だけどおやすみなさい🌟

 

 

入院の記録1

①6日目

今、わたしは入院6日目の夜の中、眠れず ユーミンを聞いている。峯田和伸のブログを読んでる。

 

明日は大きな手術を予定している。

f:id:michika148:20190314222020j:image

若干腫れていて、昨日の夜からじんわり痺れがとまらないっ。

右足中央が緑色っぽい。

 

2回目の手術では 今足に五本ぶっ刺さっているアスレチック状の鉄の創外器 をはずし、針金とボルトで🔩ガチガチに固定してもらう予定。

 

1回目の手術は、麻薬が効きすぎたせいでかなりぐったりしてしまったので別の方法での施術を勧められた。

 

その別の方法というのが「硬膜外麻酔」という局所麻酔を全身麻酔と併用する というものらしい。

 

硬膜外麻酔ってのは、帝王切開の時に妊婦さんがやるやつだ。

 

腰にある骨の真髄に通る神経めがけて、注射をうち、そのあと腰に2ミリほどの太さの管をグイグイ入れるらしい。

痛いらしい。怖い。

 

主治医に「ちょっと痛いって感じですか?」とビビりながら聞いたところ、「痛いと思います」と即答。

採血の痛みを「ちょっとチクッとするよー」で済ませる日本の医療界が謳う「痛い」ってのはどんなもんなのだろうか。。。

 

次の手術が終わったら、いよいよリハビリなどが始まるんだとか。ワクワクすっぞ。

 

② 入院7日目。

 

手術当日。怖い怖い。だけど、怖がってらんない。

これさえ終われば明日以降ラクになるもん。

家族が来てくれる。

手術前後ということで、今日は食事なしでーす。

お腹減ったら唇を噛む。

そうしてやり過ごす。

私の向かい側の部屋で入院しているおばあちゃんは今日も元気そうで、なんだか拠り所。不謹慎だけど、先に退院しないでほしいな。ひどっ笑

 

13:00いよいよ手術がスタートする。

足にマーキングされ、きっちり消毒された主治医が「頑張りましょう!」と一言。

頑張るよ。でも、委ねるぜ。

 

背中に注射を打たれる。痛いのかなーの不安より、これが峠だよ!という向こう側が私に見えていた。

頑張ったけど、そんなに痛くなかった。

骨折の痛みに勝るほどの痛さじゃないし、ましてや採血よりも余裕だった。

強くなれた気がした。いける、いけるよ今日!

 

 

3時間ほどを予定していた手術はなんと8時間かかってしまった。

 

骨の中に通す予定の鉄の釘が、削っているうちに破片となり、体に混入してしまったらしい。

 

縫った傷をもう一度あけて、取り除かれたという。

 

しかも骨折だけだと思っていた脚はくるぶしにヒビがあり、靭帯も切っていたそうな。

 

そりゃあ8時間かかりますがな。笑

 

目が覚めたとき、両親が見下ろしていた。

顎のガクガクが止まらなくなっていた。

息はしづらく、足も無感覚。

死に目ってこんな感じなのかなあとか、、考えてしまうほど。

 

硬膜外麻酔というものは、手術後にも麻酔の効果を発揮するらしい。

感覚がなくなかったのはそのせいで、力が入らず、痛みだけをとることが難しいそう。

しかも最悪なことに、患部じゃない方の足がビクともしなくなっていた……! なんでお前が呪縛されとんねん!

 

せっかく怖い思いをして入れた背中の管は、深夜2時、止めることに。。。

 

薬の効果が派手に出ちゃう19歳 河原迪花なのである。

 

f:id:michika148:20190316214156j:image

入院友達

入院してかれこれ5日目が過ぎようとしている。

 

轢かれ、運ばれ、縫われ、の三段落ちであっというまに終わった1日目。

 

1日目の疲労感がどっと来て、表情筋が死んでた2日目。

 

元気になったと思いきや、術後の点滴に含まれる副作用で筋肉が硬直して死にかけた3日目。

 

点滴が取れ、比較的元気になってきたが眠れず夜中テラスハウス鑑賞に爆走した4日目。

 

そして、早朝から2本も採血をしスタートした5日目。

 

5日目にしてわたしは入院フレンズができた。

今日ここに越してきたニューカマーの60代である。

 

彼女は、都会のど真ん中にそそり立つ広尾病院で、窓辺に映る赤い東京タワーを眺めながら顔を洗っている時、そっと話しかけてくれた。

 

どうやら彼女はアメリカに住んでいたらしい。

腕を骨折してしまったらしい。

エジプト旅行に行った時感銘を受けたらしい。

志賀直哉が好きらしい。

 

いろんなはなしができた。

わたしはこういう、普通だったら関わることがなさそうな人と他愛のない話をするのが結構好きで、折角だなとか思いつつ、おばさん特有のマシンガントークにガンガンついていってみたりした。

 

なんと、実は彼女も明々後日に手術を控えた同士だったことがわかった。

 

私はこの話をした時、今まで感じたことのないようなシンパシーみたいな、結束力みたいな、何かを感じてしまった。

 

孤独と思っていたこの小さな病室の中に、同じような不安を抱えた人がいた。というか、病院なんてみんな違った不安を抱えて過ごしてるのはわかっている。

それに、明々後日手術の予定がある人は絶対めちゃくちゃいる。

だけどなんか、すごく、暖かな気持ちになれた。。やっぱり、ひととはなすことってすごいと思った。気持ちを共有する仲間ができると全然心持ちがちがうんだもん。

 

こういう関係性と分かってから、

淡々と出てくる建築の話とか、ブラジルのうんちくとか、そんな話さえも愛おしく思えてきた。

 

ありがとう。退院するのはどちらが早いのかわからないが、心底感謝の気持ちを伝えたい。

 

f:id:michika148:20190312211859j:image